令和6年8月です.昨年の12月に英語耳(音韻認識)に切り換えるコツであるエア・ディクテーションを見つけてから9ヶ月が経ちました.今年の2月頃には,時折,頭の中が英語耳(音韻認識と意味理解)に切り替わる体験をするようになりました.それから半年間,朝夕の散歩や就寝前の小一時間を英語の映画やTVドラマを聴く時間に充ててきました.主にNetflixを利用しています.この動画配信サービスは英語字幕を表示してくれるので,聞き取れないセリフの確認に役立ちます.
私の主観ですが,英語耳のネットワークが着実に脳内に拡がってきました.『STAR TREK』のような比較的ゆっくりと話すドラマはほぼ聞き取れるようになり,『Good Witch』や『Good Doctor』 など,アメリカ人にとって普通の速さの会話も,聴いているだけでストーリーが概略把握できる程度になりました.
以下も,私の主観的な考えです.
このコツにより,英語のセリフ一文を耳に残す体験ができました.この体験は私にとっては新鮮で貴重なものでした.その後,この注聴点切り換えに意識を向けながら英語を聞き続けることで,意味はさておき,一文全体を耳に残すという聞き方を体得できました.
ただし,耳に残った音に英文を対応づけるには,その対応関係を知らなければなりません.耳に残ったカタカナと英文の対応関係は,私には未知の領域でした.そこで,「カタカタと思って聴く」聞き方は,聞こえてくる音のままに一文を耳に残す聞き方を体得するための過渡的手段と理解しました.
なぜ,一文を耳に残す聞き方が重要なのか?それは,先頭から逐語訳的に意味を取ろうとすると,かえって聞き取れなくなるからです.音の区切りを間違えると,それ以降の音と英文の対応関係を見つけられなくなってしまうことが大きな要因と考えます.一文全部が耳に残っていれば,正しい区切りを見つけやすくなります.
英語リスニング能力向上の有力な練習法としてシャドーイングが推奨されています.「正確に英語を発音できるようになれば英語が聞こえてくる」と,シャドーイングの経験者がYouTubeなどで発信しています.私も少しずつこのことを実感できるようになりました.しかし,正確に発音できなくても,英語が聞こえてくる体験も数多くするようになりました.そこで,「正確に英語を発音できるようになることは,英語が聞こえてくるための十分条件である」という仮説を立てました.
英語が聞こえてくるための必要条件は,「聞こえてくる音に対応する英文を知っていること」です.自分では正確に発音できなくても,この知識があれば,英語が聞こえてくるでしょう.私は,この必要条件を満たすため,聞き取れなかった音で,動画の進行上どうしても気になった箇所を英語字幕で確認することを続けています.
英語のセリフを聞いて意味がわかり,しかも内容が面白いと,つい次のセリフの意味を取ることに意識が向かってしまい,かえって英語が聞こえてこなくなることがあります.
英語耳は,「音韻認識の脳内ネットワーク」と,「意味理解の脳内ネットワーク」により実現されていると考えます.私の英語耳ネットワークは全くもって不完全です.中学生のときから,音韻認識ネットワークを育てることなく,英語耳ネットワークを形成してきました.そのため,英語の音から意味をとろうとすると,(ようやくできつつある)音韻認識ネットワークを介さない古いネットワークが起動されるようです.
英語耳(音韻認識)を起動させるコツがエア・ディクテーションです.エア・ディクテーションは,聞こえてきた音に対応する英文を脳内の聞こえている部位あたりにイメージする作業です.音と英文を対応付けた結果をエア・ディクテーションしようとすると,音と英文を対応づけやすくなる理由は,エア・ディクテーションに集中することで,英語耳(音韻認識)を起動させられるからだと考えています.
今年の2月時点では,英語耳(音韻認識と意味理解)に切り換えるコツがあるのではと期待し,コツを見つけられるかどうかを自問していました.
半年後の現時点(令和6年8月)では,意味理解は音韻認識に連動しており,英語耳(音韻認識)が機能すれば,英語耳(意味理解)は自動的に起動されるのではないかと,自らの経験を基に想像しています.したがって,英語耳(音韻認識と意味理解)に切り換えるコツはエア・ディクテーションであると考えています.
映画やTVドラマなどを楽しみながら,英語耳(音韻認識)と英語耳(意味理解)をそれぞれ育てていけば,ひょっとしたらエア・ディクテーションを意識しなくても「英語耳」に切り換えられる日が来るのではないかと期待しています.60年近くも叶わなかった英語の聴き取りに新たな展開が得られたことが,とてもうれしいです.
● 映画の英語_その1 (令和6年2月)へ
● エア・ディクテーションとシャドーイング_ChatGPTとの対話ログ (令和6年9月)